
トラブルがあって事情を聞こうとすると、子どもたちがよく「なんででもやもん(大阪弁)」と言います。あるいは、何も答えず黙っていることがあります。中には、雄弁に立板に水を流すように話す子どももいるのですが。
話してくれないと大人は困ります。子どもは、そう言うことで、言葉にならない胸の内を分かってもらいたい、分かってくれる人がいるはずだと伝えているのかもしれません。
外国の話か、遠い昔にあった出来事のように思っていたことが起きて、新聞やニュースを賑わせています。「言葉になりません」。人が生きていけるように、こころはうまくできています。それでも、こころは怖いなという思いがよぎる出来事です。
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